第2246回例会
第2246回例会(2022年1月31日)
「ロータリー 米山梅吉 略伝」
大西 勲 会員 卓話
1,米山梅吉略伝(東京クラブ設立まで)
1868年(慶応4年)2月4日、東京芝田村町にて和田武造とうたの三男として生まれました。
5歳で父を失い、母の郷里である静岡県三島に移りました。
12歳のとき隣村の長泉村の大地主米山家の養子縁組の話が始まりました。
文筆立志を望み16歳で養家の意に反し沼津中学を2年で中退し上京、銀座の江南学校に入学、19歳で東京英和学院(青山学院の前身)に転じ米人講師につき語学研修、また東京府吏員などしながら苦学しました。
20歳の時に米山家へ養嗣子として入籍し、養家の理解を得て間もなく渡米、苦学しながら8年間留学しました。
まず、カリフォルニア州ベルモントアカデミー高校で大学入学の準備を終え、オハイオ州ウェスレアン大学とニューヨーク州シラキュース大学にて修学、法学を専攻しました。その後帰国しますが、29歳で米山家の一人娘米山はると結婚、日本鉄道会社に勤めるも意をえず、三井銀行に入社、数回渡米して銀行業務を視察、三井銀行各支店長を経て、42歳で常務取締欲に就任します。
1917年(大正6年・50歳)10月、政府特派財政経済委員として渡米、ダラスで三井物産の福島喜三次(ダラスクラブ会員)と会いロータリーの話を初めて聞き大いに感動しました。実際、1918年の正月を福島宅で過ごし、さらに福島のゲストとして、ダラス・クラブの例会に出席しています。
2,福島喜三次とロータリー
米山梅吉にロータリーの存在を教えたのは三井物産の現地法人southern products社の支配人としてすでにダラス・クラブの会員であった福島喜三次でした。福島は1915年にダラス・クラブのアディショナル正会員となった最初の日本人ロータリアンです。(RIに現存する記録には、彼より古い日本人ロータリアンの名前は見当たりません)
このあと米山梅吉、福島喜三次が中心となって東京クラブの誕生となります。この後は時間の関係で次回と致します。