第2197回例会
第2197回例会(2020年1月27日)
「日本のロータリーの祖・ 福島 喜三次さん」
ロータリー情報担当 佐々木 仕 副委員長
今日は日本のロータリークラブの歴史に欠かせないもう1人の人物、福島喜三次さんのお話をしたいと思います。
前回の担当例会の際、米山梅吉さんが1918(大正7)年9月政府特派財政経済委員の1人としてアメリカに向かい翌19年の正月をダラスの福島宅で過ごすこととなったお話をしました。
福島喜三次さんは1881年(明治14年)10月10日有田焼で有名な佐賀県有田町で生まれました。
喜三次さんのお名前の読み方については「きそじ」「きさじ」の両説があるようです。
長崎商業学校から東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業し、1904(明治37)年三井物産に入社。
翌1905(明治38)年からニューヨーク支店勤務。この年は日露戦争が日本海海戦を経て終結した年でした。
福島さんはその後ダラスに赴任し、1912年頃三井物産の現地法人サザンプロダクツ社支配人になり、1915(大正4)年頃ダラスロータリークラブに入会し、日本人最初のロータリアンとなりました。
近代日本の産業を牽引した紡績業に係る縁で、1919年当時ダラスに駐在し、三井物産の子会社東洋綿花の社長として、同じグループの三井銀行常務の米山さんの案内を勤めたのでしょう。
福島さんは翌1920(大正9)年1月帰国します。
その際アルバート・アダムスRI会長から、年度内に日本にロータリークラブを設立してもらいたいという委任を受けて奔走しますが、期限切れとなってしまいます。
翌年度エスタ・スネデコル新RI会長から再度委任状を受け取った福島さんは、設立に向け米山さんに協力を求めます。
米山さんは財界の面々に声をかけ、1920年10月20日24名のチャーターメンバーにより設立総会が開催され、東京クラブの誕生となりました。
RIから正式に認証されたのは1921(大正10)年4月1日で、登録番号は852です。
初代会長に米山梅吉さん、幹事に福島喜三次さんが就任しました。
創立当初の東京クラブは、会員のほとんどが選び抜かれた大企業の社長や重役という財界の大御所で占められており、この人選が日本のロータリーは成功した財界人が入るクラブとの錯覚を生み出すこととなっていくようです。
福島さんは1921年3月、わずか2回例会に出席しただけで、大阪へ転勤になりました。
大阪に移った後のお話は、次の機会にしたいと思います。