第2187回例会
第2187回例会(2019年9月30日)
中園 直樹 副委員長
皆さんの税金使用での国際保健活動だったので責務として報告します。
契機は42年前の北大大学院4年時、文部省在外研究で西アフリカのセネガルのパスツール研究所へ10週間、新型のウイルスで起きた出血性結膜炎の血清疫学の調査と研究で派遣された。
その後JICA(国際協力機構)の短期専門家としてのソロモンでのマラリア対策と、シニアボランティアとしてのミクロネシアでの予防接種対策での私の過去の活動を、動画、写真等を供覧しながら紹介した。
ソロモンでは毎年5−9週間程度2007−10年の4年にわたり神戸大学時代に授業がない夏、冬、春休みを利用して、マラリアの発生状況と、その分析の指導に専門家として活動した。最終目標はマラリアでの妊産婦と乳幼児死亡数削減で、4種のマラリア原虫でおきる熱帯熱、3日熱、4日熱、卵形マラリアを、現地のヘルスポストでソロモン人のスタッフが診断でき、報告の精度を上げてマラリア発生状況を分析し、流行防止として蚊帳配布や環境対策を進めるための疫学指導である。
ソロモン諸島は、アフリカ以外ではマラリアの最悪汚染地で、太平洋戦争時日本軍は飢餓とマラリアで数万人の兵士がほぼ全滅し、当時最強だった旭川師団の一木支隊の2,400人は戦死、飢餓とマラリアで全滅した話は有名である。
慰霊碑も米軍のそれと比して日本軍のそれや、墜落の零戦機は荒れ果てており、無念の死を遂げた日本兵士を思うと私はいつも涙を抑えることは出来なかった。
次のミクロネシアへは神戸大学を早期退職し、陽子さん同伴で2012年から2年間ポンペイ島の保健省にボランティアとして出向いた。
専門家と異なり給与はなく生活費が支給されるだけだった。生鮮野菜の入手は無理で、炭水化物が殆どの偏った食事だったが、陽子さんの工夫のお蔭でメタボにもならず、また停電と断水も日常茶飯事だったが、陽子さんの生活の知恵と献身により、清貧に甘んじたが楽しい2年間だった。
第一次大戦後ミクロネシアは日本の統治領で、太平洋戦争では日本軍の南方戦線の最重要地の一つで、盛期には2万人の日本人が暮らし、祖先に日本人の血が混じっている人もいた。
ミクロネシアは感染症予防に関しては米国本土へ防波堤、水際対策の最前線で、予防接種対策制度は日本より遥かに進んでいたが、人材不足だったので、人材育成と指導、感染症の専門知識や伝染病の調査方法の伝授が私の役目であった。
トラック島(チューク州)は戦艦大和や武蔵の停留地で、激戦地でもありトラック環礁のサンゴ礁の外の海底には日本の戦艦が数多く沈んでおり、有名な激戦地パラオ島も当時はミクロネシアであった。
写真でワクチン接種の実態をお見せしたが、ワクチンは温度管理が最も重要で、生ポリオワクチンは特に温度管理が鋭敏である。
離島以外はミクロネシアでは生ポリオワクチンの経口投与はワクチン由来のポリオウイルスが糞便から地域に伝搬されるリスクから既に行なっておらず、不活化ポリオワクチンを混ぜた5種混合ワクチンを接種している。
離島をはじめミクロネシアでは、ビタミン剤や駆虫剤や歯磨きチューブや歯ブラシの配布など「ポリオワクチン投与(接種)+おまけ」と言う「ポリオプラス」で接種率を上げている。
私は接種を受けた子供達には風船を個人的に渡したので、子供達は喜んで予防接種に来た。国際ロータリーはポリオ根絶を叫んでいるが、生ポリオワクチンの経口投与から不活化ポリオワクチンへの接種方法の移行にはこれまで以上の接種できる人材が必要で、接種ワクチンも高額で費用も増大する。
私は途上国での実践の経験から、一家言あるが、真意を正しく伝えるためにはじっくり説明する必要があるので、ここで僅かな紙面を割くことは避ける。
ミクロネシアへの私の最大の貢献の一つは、帰国前の2ヶ月間、コスラエ島(州)とポンペイ島(州)での麻疹(はしか)の初発例を調査したので、米国のCDCのインターン生であったSameerらとCDCと協働で大規模な麻疹封じ込め作戦を展開して、麻疹の封じ込めを成功させ、保健省からも大いに感謝された。
この封じ込め作戦の様子は世界的に権威ある疫学雑誌にSameerを筆頭著者として掲載された。
1775年に島を襲ったレンキエキ台風によって島の人口が20数人に減り、偶々生き残り者に1色覚者がおり、絶海孤島の環境なので近親婚を繰り返した結果、色の識別が出来ず明暗の違いのみで生活している1色覚者の割合が高いことで世界中に有名なピンゲラップ島をセスナ機で訪れての予防接種活動は貴重な思い出である。