第2339回例会
第2339回例会(2024年8月19日)
「在日米軍基地行政を巡る二項目」
駐留軍要員健康保険組合理事長(元東北防衛局長)
熊谷 昌司 様
皆さん、こんにちは。熊谷昌司と申します。本日は、私が防衛省で携わってきました、いわゆる基地行政、なかんずく在日米軍基地に係る行政事務の分野から、二つの項目について紹介させていただきたいと思います。一つは、「在沖米軍基地」に係る土地の問題、もう一つは、米軍基地内で働く日本人労働者である「駐留軍等労働者」についてです。
まず、「在沖米軍基地」についてですが、現在、沖縄県には31の米軍専用施設があり、沖縄本島中南部の人口密集地には普天間飛行場など16の施設が所在します。本土には46の米軍専用施設がありますが、これらの施設の中でも特筆すべきものを紹介すると、本土の施設の中では、横須賀海軍施設は、米海軍にとって空母を前方展開するためのいわゆる「母港」としては米本土以外の海外における唯一の拠点です。これは、日本、極東においてはもちろん、インド太平洋における米軍のプレゼンスの点から大変重要です。また、沖縄の施設の中からも一点ご紹介すれば、嘉手納飛行場は、3,700mの滑走路を2本備え、約100機の航空機が配備される極東最大の米軍の航空基地となっています。
沖縄の地政学的位置について申し上げれば、沖縄本島は南西諸島のほぼ中央、我が国の安全保障上極めて重要な位置にあり、朝鮮半島や台湾海峡などとは相対的に近く、かつ近すぎない位置にあります。周辺国から見ると、大陸から太平洋にアクセスするにせよ、太平洋から大陸へのアクセスを拒否するにせよ戦略的に重要な位置にあります。
そのような位置にある沖縄の米軍施設ですが、令和6年現在、31施設、面積は18,455haありますが、沖縄の復帰直前と比較しますと、面積比で48%減っています。復帰前は現在の2倍ありました。しかしながら、現在でも米軍施設は沖縄に集中している状況というのは変わっておらず、日本全体を100とすると、面積比で約70%が沖縄県に所在しています。また、土地の所有区分別で見ると、米軍施設に係る土地のうち民公有地が約77%を占めており、国有地は約23%です。これを本土で見ますと、民公有地は約7%のみで、93%が国有地となっており、その多くは旧軍施設を引き継いでだものです。
このような沖縄の米軍施設の状況は、沖縄戦やその後の米国施政下における基地拡張等により生じたものです。また、土地の形状が大きく変更されたり、土地の所有関係を記録した登記簿類が滅失したため地籍が不明確となった土地が相当数存在していました。基地行政を担当した旧防衛施設庁は、沖縄の日本復帰に伴い、このような状況に対応するところから沖縄における仕事をスタートさせました。
次に、駐留軍等労働者についてご紹介致します。駐留軍等労働者とは、法的な定義として、駐留軍等のために労務に服し、国が雇用するが、在日米軍の事務・事業に従事する者であって、国の事務・事業に従事する者ではないので、その身分は国家公務員ではないとされています。日米地位協定に、在日米軍の我が国における労務の需要は、日本国の当局の援助を得て充足されると規定(地位協定第12条第4項)されており、「間接雇用方式」と呼ばれています。このような駐留軍等労働者の人数は令和6年3月現在全国に約2万6千人ほどとなっています。給与等の勤務条件は、国家公務員の給与の状況なども勘案し、防衛大臣が法律上の雇用主として定めることとされています。日本の労働法規が適用され、健康保険等の社会保険も日本の社会保険制度が適用されています。日本国内の労働者と異なる点を一例挙げるとすれば、祝日は主に米国の祝日が適用されます。
駐留軍等労働者数の推移を見ますと、昭和50年、すなわち1975年以降は2万人から2万6千人程度の間で推移してきているところですが、昭和47年の沖縄復帰時には現在のおよそ2倍の約5万1千人、さらに遡って、日本全土がまだ占領下にあった昭和22年、当時のいわゆる占領軍労働者は約25万6千人という膨大な数にのぼったと資料に残っています。
現在の約2万6千人を県別に見ますと、人数が多いのは神奈川県と沖縄県で、それぞれ約9千人の労働者がいます。神奈川県には横須賀海軍施設や厚木飛行場、キャンプ座間などが所在しています。沖縄県の状況は先ほど見ていただいたとおりです。次いで在日米軍司令部のある横田基地が所在する東京都に約2千5百人、三沢基地の所在する青森県、岩国基地の所在する山口県、佐世保海軍施設の所在する長崎県にそれぞれ千数百人の労働者の方々が働いています。
歴史的な背景を辿ると、先ほど触れましたが、駐留軍等労働者は占領時代の占領軍労働者に遡ります。昭和20年、終戦後占領軍は日本全土に進駐し、日本全土で様々な労務供出要求が地方庁や自治体、警察署等に出されたようです。その数が前述しました25万人となっていました。その後、GHQの指令により日本政府を通じて調達する方式に統一され、さらには、1952年の平和条約、旧安保条約、日米行政協定を経て、これも先ほど申し述べました「間接調達方式」、日本政府による雇用、日本の労働法規の適用、日米合同委員会による協議などの原則が日米間で整理されてきました。現行の日米安保条約、地位協定の下で現在の姿になっています。
最後になりますが、そのような駐留軍等労働者の健康保険を管掌しているのが、私が現在理事長を務めております駐留軍要員健康保険組合です。設立は昭和24年、1949年、創設75年になります。この機会にお見知り置きいただければ幸いでございます。ご清聴誠にありがとうございました。
(原文まま掲載)