第2198回例会
第2198回例会(2020年2月3日)
「 カンボジアの内戦から平和構築の過程での問題点とその解決と現状」
中園 直樹 会員
カンボジアを含むインドシナ3ヵ国のフランスからの独立のインドシナ戦争と、隣国のベトナム戦争(1960-75年)の歴史と、空爆や枯葉作戦の後遺症をベトちゃんドクちゃんの写真も紹介しながら解説した。
カンボジアもインドシナ戦争により独立したが、
1961年から否応なしにベトナム戦争に巻き込まれ、1970年シアヌーク国王が北京滞在中に親米政権のクーデターが起こり、一方反米のポル・ポトの台頭で、彼が指導するクメールルージュが勢力を増して、1975年カンボジア全土を支配し、暗黒の大虐殺の時代に突入した。
ポル・ポトは自給自足の原始共産社会を目指した極端な重農政策を全土に広げた。都市のインフラを徹底的に破壊した上に、教師や医師などのインテリと都市
の商人を粛清の為に惨殺して、当時の人口の4分の1は亡くなった。
都市住民を農村に強制的に移動させ、家族の同居を許さないなどしたために、カンボジアの伝統的な母系の家族制度と地域コミュニティは僅か4年足らずの間に崩壊した。男性の青年層、壮年層の人口が極端に減少したので、その後の復旧復興に必要な中核的人材が枯渇し、復興に2世代かかるなど大きな爪痕を残すことになった。
ポル・ポト軍の掃討のため、敗走するポル・ポト軍との内戦は1992年まで続き、その間の内戦で、対人地雷が全土に拡散したため農村地帯の復旧や新開墾の際に多数の地雷被害者を出した。
1992年2月に明石康氏を代表とするUNTACが発足し、20年続いたカンボジアの内戦は終結し、新生カンボジアがスタートした。
UNTACの6つの任務は、「停戦・武装解除」、「難民帰還と定住促進」、「人権監視」、「暫定的な行政分」、「選挙実施」、「国の復興・再建」で、20年以上にわたった紛争状態に逆戻りさせない。
紛争の種を根絶し、紛争再来を予防し平和構築を目的にし、日本も初めて海外にPKOを派遣した
(残念ながら、任務に当たった中田氏と高田氏はカンボジアで死亡した)。
2000年神戸大学に赴任した私は、国連を支援する姫路のNGOの依頼でカンボジアを訪れ、神戸大学や兵庫県のロータリーはカンボジアの復興にどんな貢献ができるかということで、その後2012年まで毎年訪問した。
パートナーとしてプノンペンの国立小児病院のMeng院長とヤマザキパンが支援するNGOのFIDRを窓口に、保健・医療系の機材や器具の支援、看護師や助産師、寄生虫感染対策など広い分野の公衆衛生関係の人材育成のお手伝いを神戸大学の教員や多くの大学院生の協力を仰いでさせて頂いた。
特に、地雷被害者へ関わるカンボジア人の理学療法関係スタッフへの援助は感謝された。
また、神戸大学の教員も院生もカンボジアの農村地帯の地域に根ざしたリハビリ(CBR)の多くを体験させて頂いた。
一次予防と二次予防の感染症対策ばかりだった私が、第三次予防のリハビリという概念をあらためて学んだ。
私が、カンボジアの歴史で最も学んだのは「人材育成が基本中の基本」ということであった。
「一年の計は穀を樹えるに如かず。十年の計は樹を樹えるに如かず。終身の計は人を樹えるに如かず」