第2192回例会

第2192回例会(2019年12月2日)

「日本のロータリーの祖・米山梅吉さん」
ロータリー情報担当 佐々木 仕 副委員長

前年度ロータリー情報担当の竹原会員が、今年の4月22日の例会の際お話しされた、米山梅吉さんのお話覚えておいででしょうか。明治元年2月4日に生まれた米山さんは、沼津中学校を卒業後家出し、3日間かけて歩いて東京に行ったところまでお話しされました。
さて、明治維新後、徳川家は800万石から70万石に大きく減俸されました。
江戸在住の徳川家の旗本・御家人の多くは静岡へ移り住むこととなりました。
その中には当時の国際情勢や、科学技術、西洋式の最先端の学問を身につけた人々も多くいたでしょう。
そのような人々が地域の教育者として、子供たちに新しい学問を教えていたことは想像に難くありません。
米山梅吉さんが通っていた沼津中学校も、もとは沼津兵学校として徳川家により設立された当時の最先端の教育施設でした。
ここで米山さんは、アメリカへ憧れるようになったのでしょう。
上京した米山さんは銀座江南学校に通い始めますが、ここでは米山さんが望む、新しい学問には出会えなかったようです。
しかしここで生涯の恩人となる友人、藤田四郎さんと出会うことになります。
この人は井上馨候の女婿でこの縁でのち三井銀行に入行することになります。ご存じのように井上馨は、維新の元勲で長州出身の井上聞多であります。
米山さんは明治20年二十歳の時に、長い間抱いていた渡米の夢を実現させます。
サンフランシスコ福音会寄宿舎に入り、皿洗いのバイトをしながらカリフォルニア州ベルモント・アカデミーを終え、オハイオ州のウエスレン大学に進み、その後ニューヨークのシラキュース大学に転じ8年後、帰国しました。
明治29年米山はるさんと結婚。日本鉄道会社を経て、友人藤田四郎さんの岳父井上馨候の口添えで三井銀行に入行しました。
明治30年のことです。各地の支店次長、支店長を経て大正6年9月、目加田種太郎男爵を委員長とする政府特派財政経済委員に任命され、10月15日横浜港を出発しアメリカに向かいました。
米山梅吉さん49歳、三井銀行の常務取締役でした。
この時の訪米でダラス在住の福島喜三次さんに出会い、日本のロータリークラブの歴史が動き始めます。